2013年8月31日土曜日

待つ

「子育てって『待つ』ことだと思います」。
以前、鹿児島市の市民講座を受講していたときに
読み聞かせの先生がそうおっしゃっていました。
二人の子育てしていると、その言葉をよく思い出します。

2歳の息子は、今なんでも自分でやりたがる時期。

しかし何をやるにも時間はかかるし危なっかしいし。
急いでいるときなんかは、できれば手を貸してあげたいのですが、
自分でやりたがるということは自我の芽生え。
ここで「やりたい気持ち」を踏みにじると後で大変なことになりますよ!
と育児書などに必ず書いてあるので、時間の許す範囲で見守ります。

先日、息子は着替えを自分でやると言い出しました。
ズボンならなんとか自分で脱いで(脱ぐまでかなりの時間を要します)
自分で着るところまでできるのですが(何度もやり直すのでこれも相当時間がかかります)、
Tシャツを脱ぐのは初めての挑戦です。

まずは裾をひっぱってモゴモゴもがいていました。
ここはやはり見守るところですね?
「がんばって!」と声をかけた途端。

「できないよー」。

え、あきらめるの早すぎませんか?
確かに、それは無理だなと母も気づいてはいましたが。

自分で全部お着替えが出来るのはいつだろう。
その日が来るのも、ゆっくり待ちましょうね。

2013年8月22日木曜日

月は東に日は西に

夏季休暇中、坊津と笠沙を訪れました。
海を怖がる息子が、なんとか海に親しんでくれないかと願っての家族旅行です。

母の頭の中にはセンス・オブ・ワンダーの言葉が渦巻いていますから。

幸い、坊津の美しい海のおかげで、当初かなり海水浴を嫌がっていた息子も
帰る頃には「きもちいー!」と笑顔で言ってくれるまでになりました。
それだけでも来た甲斐があるってものです。

笠沙では、夕方サンセットクルーズに出かけました。
このとき、「月は東に日は西に」と呟きたくなる光景を目にしたわけです。
本来は、春の情景を詠んだ句なのですが。

 
水平線に太陽が近づく頃、東から月が昇り始めました。満月まで、あと2日という月齢です。
このように、月と太陽が真逆の位置にあるとき、月はだいたい満月の頃になります。
 
春でも夏でも、太陽が沈むとき東の空に昇る月は満月と決まっているのです。
知りませんでした。
 
笠沙は古事記にも記載されている神話の里だからでしょうか、
黄昏色の西の空と、丸い月が浮かぶ東の空、
なにかしら神々しさを感じる風景でもありました。
 
そして、夕食のあとには望遠鏡で星空観測。
翌日は夜明け前に起きて定置網漁の見学。
初めての体験もいろいろあった今回の旅行で
子どもたちが何を感じたかはわかりません。
 
ただ、いつも忙しそうにしているお父さんとお母さんと
ゆっくり過ごせたことが一番うれしかったようです。
 
母は、旅行から帰ってさっそく科学館のパスポートを作りました。
月や星の動きについて、もうちょっと知っておかなくちゃ。
 
 

2013年8月12日月曜日

ぐらぐらオーリー

「お母さん、うちのオーリーどこに行ったの?」

オーリーというのは、木製の小さな起き上がりこぼし、「ぐらぐらオーリー」のことです。
娘が生まれて5ヵ月ぐらいの頃に購入しました。

ようやく寝返りができたばかりの娘は、オーリーがお気に入りで、
手をにぎって振り回したり、とんがり帽子をちゅうちゅう吸ったりしてよく遊んでいました。
もちろん、息子もオーリーとよく遊んでいました。
二人のお気に入りだったオーリー。

「ごめんね、お母さんお店に持っていっちゃった」。
「なんで?オーリー大好きだったのに!」←少し涙目。

オーリーを振り回して遊んでいた頃の記憶があるとは思えませんが、
ずっと傍にあったおもちゃだから愛着があったのでしょうか。

もう遊ばなくなったし、部屋の隅っこに置きっぱなしだったし。
だから二人のおもちゃとしての役目は終えたのかな、と思ってしまった母は、
サンプルとしてお店の商品棚に飾っていたのでした。本当にごめんなさい。

お店で新しい箱からもう一人のオーリーを取り出し、
「うちのオーリー」はやっぱり我が家に持って帰ることにしました。

「オーリー、連れて帰ってきたよ」
そう言って娘にオーリーを渡すと、にっこり笑い、そしてまたほったらかしています。
やれやれ、と思いながら我が家でオーリーを飾る場所を探す母です。


 

2013年8月9日金曜日

しつけ

最近、息子から「おかあさんは、おこりんぼー」と、毎日言われています。
そりゃあ、2歳の息子に対して怒りたくなることは山ほどあるわけですから
(食事の途中で遊びだす、片付けてるそばから散らかす、お風呂を嫌がる、お姉ちゃんに蹴りをいれる等々)、
にこにこ笑ってばかりもいられないのです。

「こらっ!」と声を出すたびに息子から「おこりんぼー」とののしられ、
さらに娘からは「まだ2歳なんだから、優しく言ってあげて」となだめられ、
なんだかお母さんだけ悪者みたい。
まだ2歳…。そろそろしつけもしていかなくちゃと思うのですが。

「子どもはしつけの中で、いちばん好きな両親や先生が自分に課してくる要請と、自分の要求との対立に苦しみながら、そしてその中で親や先生との共同生活をどう創り上げてゆくかに悩みながら、人間の生き方の基本を学んでゆきます。」(幼児期―子どもは世界をどうつかむか―/岡本夏木著)

子どもの要求を無視して、ただ言うことを聞かせるだけでは、
「子どもが大人に敗北していく屈辱の歴史」をつくることになってしまうのだそうです。
かといって、子どもの要求を受け入れてばかりはいられません。

ではいったいどうすればいいのか。
親の要請に子どもが「従う」のでも「背く」のでもない、
「その他」の方法を、状況に応じて親も一緒に考えなければなりません。
つまりそれが「共同生活をどう創り上げてゆくか」を考えていくことになるのでしょう。
難しいですね。「おこりんぼー」の母は、安易な方法しか思いつきません。

子どもがしつけを受け入れ、
いずれは自らの考えで正しい行いを選ぶようになるために必要なのは、
子ども自身の「誇り」であり、「自尊心」だと岡本氏は言っています。

「子どもがよいことをした時、人間的な親は、それを形式的に「ほめる」よりも、自分自身が喜びます。親が自分の行為を喜んでくれること、これほどうれしいことはありません。そして、「自分はオ母サンを喜ばすことができる人間なのだ」という子どもなりの自覚、これこそが、しつけから抜け出し自らの自立性をうちたててゆく、もっとも大きな拠りどころとなるものなのです。」

寝る前に息子が「おかあさん、だいすきー」と言ってきました。
「おこりんぼーなおかあさんでも?」と、嫌味っぽい返事をする母に
「うんうん」と頷く息子。横で娘も頷いています。
これほどうれしいことはありません。

「今度からは怒らないようにがんばるね」。
なんだか私が子どもたちからしつけられているようです。

2013年8月2日金曜日

センス・オブ・ワンダー

「子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。」
(「センス・オブ・ワンダー/レイチェル・カーソン著」より)

「センス・オブ・ワンダー」は、著者と幼い甥っ子が
海や山で体験したことをもとにして書かれたエッセイです。
この本でレイチェルは、自然に触れて驚いたり感動したりする心が、
「もっと知りたい」という探究心につながると言っています。

夏休み、海とか山とか川とか、自然の中で子どもたちとたっぷり遊びたい。
と考えている親は多いのではないでしょうか。

できれば我が家でも子どもたちと自然を満喫すべくどこかへ出かけたいのですが
、夫婦それぞれがお店を持っているため、なかなか遠出もできず。
日々の暮らしの中で、夕暮れ時に猫の額よりもさらに小さい花壇で
義母が育てている草花に触ったり、
寝る前にベランダから夜空を眺めたりするのが、
わずかばかりの「自然と親しむ」時間だったりします。

本棚のセンス・オブ・ワンダーに目をやっては、
「はぁ~」とため息をつく母です。
しかし、都会で暮らしていても自然の神秘を感じることはできる
とレイチェルは言います。

「台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種子さえも、芽をだし成長していく植物の神秘について、子どもといっしょにじっくり考える機会をあたえてくれるでしょう。」


キッチン菜園に失敗して枯れてしまったハーブたちの鉢が放置されたままの我が家ですが、
それもまた自然の神秘です。