2015年11月27日金曜日

ロケット

息子を幼稚園に迎えに行くと
お決まりのように近くの公園で遊びだします。

1時間くらいなら、まあ付き合ってもいいのだけど
遊びに夢中になると2時間を超えることも。
幼稚園から自宅までの家路のなんて遠いこと!
距離にして数十メートルほどなのに。

先日も幼稚園帰りに公園で遊びだし、3時を過ぎた頃に
「そろそろ帰るよー」と声をかけても「いや」と即答。

「じゃあ時計が6のところ(3時半)になったら帰ろうね」とか。
「おうちでおやつ食べようよー」とか。
声をかけ続けていたら、小学生のお姉ちゃんも帰ってきちゃった。

「ほら、お姉ちゃんも帰ってきたから一緒に帰ろう」
そう言って、やっと遊びをやめてくれた息子と
ランドセルを背負った娘と3人で家へ向かって歩きだしたら

眼の前の空をロケットが宇宙へ向かって飛んでいきました。
あぁ、なんか感動。

2015年9月25日金曜日

おれんじ鉄道

先日、子どもたちと「おれんじ鉄道」に乗りました。

特に目的もなく、ただ「列車に乗って遠くへ行ってみよう!」という
ゆる〜い遠足です。

なぜ「おれんじ鉄道」かというと…
一番のんびりできそうな気がしたから。というか、
やっぱり車窓からの眺めが魅力的だったから。
今の季節、黄金色の田んぼの脇に咲く深紅の彼岸花も
楽しめるんじゃないかな、と思ったからです。

それと、阿久根駅に行ってみたかった。というのもあります。

というわけで、子どもたちもリュックを背負って
まずは市電に乗って鹿児島中央駅へ。
そして川内駅でおれんじ鉄道に乗り換え。

たどり着いた阿久根駅。リニューアル後、初めて来ました。
駅全体がとってもおしゃれに変身しているじゃありませんか。


気になっていたキッズルームは…

まるで小さな小さな「おもちゃ美術館」のようです。

グッド・トイがいろいろ置いてありますよ。


うちの子どもたちも大喜びで木の砂場に飛び込んで遊んでいました。

でも残念なことに、ひっつきむしの虫たちが無くなっているようです。
ひっつき棒は壊れているし、どんぐりころころの坂も見当たりません。

別のおもちゃの板を坂に見立ててどんぐりを転がして遊んでいたら
一緒に遊んでいた家族のお母さんが、「こうやって遊ぶおもちゃだったんだね〜」
と呟いていました。

そうよね。どんぐりだけ置いていてもわかんないですよね…。

東京おもちゃ美術館で、おもちゃで遊ぶ部屋に必ず「おもちゃ学芸員」が
いたことを思い出しました。

なんとなくモヤモヤしながら我々は阿久根駅を出発し、
なんとなく出水駅まで行き、そこでソフトクリームを食べながら
「そろそろ帰ろうか」と提案したところ、息子が
「芋堀りは?」と悲しげな表情で訴えてきました。

秋の遠足=芋掘り。だったのですね、彼にとっては。

よし次はシャベルを持って芋掘り遠足に行きましょうか。

2015年8月3日月曜日

小さき者

この夏、我が家にやってきた数匹の「小さき者」たち。

それは、庭の檸檬の木についていた「はらぺこあおむし」なのですが、
その中の一匹が脱走しました。

一生懸命探すのですが、なにしろ小さい。
もう見つからないかもね、と思っていたら……
(以下にあおむしの画像あり。嫌いな方は見ないでね)

いましたよ! ここに↓


見えますか?
南半球、クック諸島の近く。




ほら、いた。



小さいのに冒険心あふれるあおむし君。
大きく育って、立派な蝶になるのだよ。


Out on the ocean sailing away,
I can hardly wait to see you to come of age.
But I guess we'll both just have to be patient.
'Cause it's a long way to go a hard row to hoe.
Yes it's a long way to go but in the meantime.

Before you cross the street take my hand.
Life is what happens to you while you're busy making other plans.

Beautiful beautiful beautiful beautiful boy.

2015年7月23日木曜日

ミニバッグを作ってみました

友人が編んでいた夏用のカゴバッグがとっても素敵だったので
私も真似して編むことにしました。

でも初めてなので、練習用にまずは娘のミニバッグ。
糸3玉で、意外とすんなりできました。



ほら、いい感じ!
娘も喜んでます。練習用というのは内緒です。

子どもって、実は自分の荷物は自分で持ちたいんですよね。
ハンカチとティッシュと、お気に入りのお人形とか
散歩の途中で拾ったきれいな石とか。

大人からみると、なんでそんなものを?
と思うようなものも大切な宝物だったりするわけで。


さて、自分用のバッグも早く仕上げなきゃ。
もう夏本番ですもんね。

2015年7月3日金曜日

「赤ちゃんはなぜ泣くのか」

子どもができて嬉しかったり楽しかったりするものの、
たまには「もうイヤっ」と思うことだってあるのです。人間だもの。

そんなとき、
子育ては修行なのだ。滅私の心だ。
と唱えながら乗り越えたり、乗り越えられなかったり。

そんなこんなで手さぐりの子育てをしていて
気づいたら娘はこの春小学生になっていました。

過ぎてしまえば、乳幼児だった時期が愛おしい。
親ってみんなそんなもんなのでしょうか?

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「赤ちゃんはなぜ泣くのか」(南日本新聞「南点」 平成26年6月20日掲載)

 38歳で初めて娘を出産するまで、私は赤ちゃんのいる生活というものを理解できていなかった。出産後、娘と初めて同室になった夜、泣き続ける娘をあやしながら睡魔と闘うも数時間でギブアップ。看護師さんに娘を預けて眠りに就いたという「へなちょこ母さん」だった。

 娘はよく泣く赤ん坊だった。抱っこしながら寝かしつけた娘を布団に下ろそうとした途端、はっと目を覚ましてはワンワン泣く。看護師さんから「泣いたら授乳するように」と教えられていたのだが、泣くたびに授乳していたのではずっと抱きっぱなしではないか。他の子はここまで泣かないのだろうかと疑問に思いながら、娘を泣かすまいと一日中抱き続けた。

 赤ちゃんが泣くのには理由がある。お腹がすいたり、おむつを替えて欲しかったり、不快な状況を改善してもらいたいときに泣いて誰かを呼び寄せる。確かにそうだ。しかし娘は、たっぷり授乳しても、おむつを替えても満足してくれなかった。お腹も空いてない、おむつも濡れていない赤ちゃんがなぜ泣くのだろう。

 人は「誕生時から他者との結びつきを求めようとする脳がそなえられたのです」と、早稲田大学文学学術院の大藪泰教授は、著書「赤ちゃんの心理学」で述べている。生まれてすぐに大声で泣く「産声」も人間特有のものらしい。自然界では、誕生時に大声をあげることは自らの命を危険にさらす行為。それでも人間の赤ちゃんは、泣くことで母親と触れ合う機会を作り出そうとする。よく泣いていた娘も、へなちょこ母さんにかまってほしくて泣いていたのだ。

 外界の刺激を五感で受け止めながら成長していく赤ちゃんにとって、他者とのコミュニケーションはヒトとしての発達に欠かせない「心の栄養源」である。いや、赤ちゃんに限ったことではない。いくつになってもヒトは他者との関わりの中で成長する、そういう生き物だ。不惑の歳を過ぎて、子どもたちに振り回されながら「ほどよい母さん」を目指す私もそうだ。

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2015年6月15日月曜日

「勝負の手ごころ」

毎日毎日、言い争いをしている娘と息子。
だいたい、どちらかが泣き声で「お母さ~ん」と
助けを求めてくるのですが、話を聞けばどっちもどっち。

以前、尾木ママの講演会で、

「例えば、兄弟喧嘩が始まったとき、『こらっ!』と怒るのではなく
『どうしたの?』と優しい声で聞いてあげましょう」

と教えていただいたのですが、行うは難し。

「こらっ!」と叫んでから、いかんいかんと急に声色を変えて
「どうしたの~?」なんて言っているので、一貫性のない母の行動に
子どもたちが戸惑っているかもしれません。

まぁ、お互いの主張がぶつかってケンカするという経験も
幼い子供には必要だもの。
そうやって、手さぐりで人と人との付き合い方を学んでいるんだと
思うことにしています。

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「勝負の手ごころ」(南日本新聞「南点」 平成26年6月6日掲載)

 子どもたちとメモリーゲーム(神経衰弱)をしていたら、負けそうになった息子が「ずるい!」とぼやいた。「ずるくないよ!」と娘が応じる。そう、誰もズルなんかしていない。3歳になったばかりの彼の悔しさの表現が「ずるい」なのである。

 目の前で勝敗が分かれるテーブルゲームは、楽しいだけでなくトラブルに発展することも多い。だから、ゲームをする前に約束しておかなければならない。順番を守ること、途中でやめないこと等を全員で確認するのだ。ここで「面倒臭い」と思ってはいけない。私は、この作業が子どもとゲームをするときの一番大事なことだと思っている。

 息子の気持ちはよく分かる。末っ子だった私も家族でゲームをした場合、負ける頻度が一番高かった。ぶつぶつ文句を言っても、「ギを言うな」の一言で終わりだ。ちなみに、「ギを言うな」とは、薩摩藩で「詮議の後に文句を言うな」という意味で使われていた言葉らしい。

 詮議とは、みんなで意見交換しながら結論を出すこと。または、郷中教育で行われていた禅問答のようなものである。「船が難破したときに助けてくれた者が親の仇であった」「殿様から急用を仰せつかったが早馬でも間に合わない」そんなときどうするか、薩摩の子どもたちはお互い意見を出し合いながら問題の対処法を学んでいたのだ。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの偉人も、こういった場で倫理観や実践的な知恵を身につけていたに違いない。

 「兄と慕った相手を砲撃せよとの命令が下ったらどうする」。実際にそんな難問が待ち受けていた時代の教育である。現代にはそぐわない部分もあるかもしれないが、子どもたちが様々な問題の答えを模索するという経験は現代でも必要だろう。

 「弟が負けそうになって、悔しがっていたらどうする」。メモリーゲームを始める前に娘に聞くと、「間違えても、もう一回やっていいことにする」と答えた。負けず嫌いの娘がそんなことを言うなんて。こんなやりとりもテーブルゲームの楽しみの一つ。

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2015年6月1日月曜日

「雨でも雪でも」

5月の週末、2回ほど子どもたちと喜入のグリーンファームへ
遊びに行きました。

野菜の収穫体験やそば打ち体験など、とても楽しかったのですが
生憎2回とも、雨でした。

レインコートと雨靴、さらに傘をさしながら
畑でニンジンやタマネギの収穫をするのもどうかと思うのですが
子どもたちはそんなこと気にしないのです。

収穫が終わったら、子どもたちはアスレチック広場へ
走って行ってしましましたよ。雨なのに。

しょうがないので、子どもたちが遊び疲れるまで
雨宿りしながら待っていたら、風邪ひいちゃった。
子どもたちは元気なのに、私だけ。

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「雨でも雪でも」(南日本新聞「南点」 平成26年5月23日掲載)

 雨の休日、「公園で遊びたい」と言いだした子どもたち。「雨ですよ?」と言いかけて、何かの本で読んだフィンランドの子どもたちのことを思い出してしまった。フィンランドでは寒さのせいで外遊びを諦あきらめていては、冬の間ずっと外に出ることができない。だから子どもたちは防寒服を着て極寒の雪の中で遊ぶのだ。小雨ごときでひるんではならぬ…と思ったわけではないけれど、確かに一日中家の中では退屈だろう。近くの公園へ行ってみることにした。

玄関でレインコートと長靴に身を包むと、もうそれだけで子どもたちはうれしそう。誰もいない公園に着いた途端、キャアキャア声をあげながら遊びだした。古い映画で、男の人が雨に濡れながらバシャバシャとうれしそうにダンスするシーンがあったが、まさにそんな感じだ。

 1952年公開の「雨に唄えば」は、無声映画からトーキーへと移行する時代の映画界を舞台にしたミュージカル。クスリと笑えるユーモア、名曲と楽しいダンスのオンパレードで今なおファンが多い不朽の名作だ。

 話の途中で突然歌い出すミュージカルに戸惑いを感じていた頃もあったけれど、子どもと一緒に観るならミュージカルはぴったりだろう。「オズの魔法使い」や「メリー・ポピンズ」など、親子で楽しめる名作は数えきれない。なにより、子どもたちは歌が大好き。昔から、毬つきをするときも、縄跳びをするときも、どちらにしようか決めるときも歌を歌っているのだから。

 雨の公園もいいけれど、こんな日は映画を観ながら歌うのもいいんじゃないかな。そんなことを考えながら公園ではしゃぐ子どもたちを眺めていたら、はしゃぎすぎた息子が水たまりに倒れ込んだ。小雨ごときと見くびってはならぬ…。びしょ濡れの息子を大慌てで連れて帰りながら、フィンランドには住めそうもないなと悟った。

 しかし、もし鹿児島に雪が降ったらフィンランドの子どもたちとは逆の理由で外に出たがるんだろうな。そして、歌いながら雪だるまを作るんだろうな。

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2015年5月29日金曜日

「ツルのジレンマ」

少子化解消云々、働く女性応援云々…。
なんだかよくわからないのです。

例えば、
たくさん子どもを産んでも、保育園がしっかり面倒みますよとか。
たくさん子どもを産んだら、お金がもらえますよとか。
どうもしっくりこないのです。

皿に入ったスープに困っているツルが
「食べにくかったらスプーンがありますよ」とか、
「冷めたらまた温めますよ」とか、
言われているような感じ。

いや、たぶん「皿」がいけないんです。
「壷」にして欲しいんです。


イソップ寓話の「キツネとツル」。
いじわるなキツネだなと思っていたけど
仕返しするツルも、ちょっと性格悪いかも。


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「ツルのジレンマ」(南日本新聞「南点」 平成26年5月9日掲載)

 今年度、幼稚園のPTAの仕事を引き受けた。引き受けた後で、町内会の班長の当番年度であることがわかった。日々の家事や育児だけでも四苦八苦しているのだが仕方ない。やってみれば案外面白いかもしれないと前向きに取り組むことにした。

 PTAや町内会の会合に顔を出すと、出席者の9割以上が女性である。PTAや地域活動に協力的な男性もいらっしゃるとは思うが、ほとんどの男性は働きながら先のような活動に参加するのは無理なのかもしれない。しかし今の時代、働く女性も少数ではない。「『PTA活動のために休みます』と職場に言いにくい」「仕事と家事で手いっぱい」とは、働く母親たちの共通の思いだろう。

今から100年近く前、与謝野晶子や平塚らいてう等は「母性保護論争」を繰り広げた。「婦人はいかなる場合にも男子や国家に依頼すべきではない」と主張する晶子も、「国家は、妊娠、出産、育児期の女性を保護する責任がある」と反論するらいてうも、女性として母としての社会的・経済的地位の向上を目指している点は同じだ。

 1986年に男女雇用機会均等法ができ、女性が働くための門戸は広くなったものの、未だに母親がフルタイムで働こうとしたときのハードルは低くない。なんだか、イソップ寓話「キツネとツルのごちそう」で、皿に入ったスープを勧められているツルのようだ。私自身、少々独身時代が長かったせいか「キャリア志向?」と聞かれたことがあったが(もちろんそんな理由で独りだったわけではないし、たいしたキャリアもない)、仕事か家庭かで悩む女性がいるというのも事実なのだろう。

 働くということが、仕事以外の諸々を引き受けてくれる誰かの存在を前提としているのなら、それもまた一種の依頼主義。子育てや親の介護をしながらでも働ける仕組みが実現すれば、長時間労働などの問題も解消できそうなのだけど。キツネもツルも使いやすいユニバーサルデザインの器は考案できないのだろうか。

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2015年5月1日金曜日

「第二のステージ」

おもちゃコンサルタントの認定を受けるために「東京おもちゃ美術館」での
講習を受講したのは、2011年3月第1週の土日でした。

4月に出産予定の妊婦だったため、
ゆっくり移動できるよう金曜日の午後から東京入り。
主人と、そして2才の娘も付き添ってくれました。

講習には全国から受講者が来ておりましたが、
なにしろ臨月の妊婦というだけでも注目を集め、
さらに、九州の果てからやってきたということで
皆様からとても優しく接していただきました。

もしも、あの講習が1週間遅かったら、妊婦と幼児を含む
土地勘のない家族は、おもちゃ美術館まで辿りつけたかしら?
ときどき、そんなことを思います。

さて、コラムで紹介している砂田さんとは、なんの面識もありません。
でも、笠沙えびすも、薩摩スチューデントの記念館も大好きな場所の一つです。


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「第二のステージ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月25日掲載)

  今から6年前の4月、廃校となっていた新宿区四谷第四小学校の旧校舎に「東京おもちゃ美術館」がオープンした。同館をプロデュースしたのは、公共空間の建築物再生で知られる鹿児島出身のミュージアムプロデューサー砂田光紀氏である。

 私が初めておもちゃ美術館を訪れたのは3年前の3月。週末だったためか多くの親子連れで賑わい、「ゲームのへや」では小学生たちがスタッフの指導を受けながらテーブルサッカーやボードゲームを楽しんでいた。そこは、おもちゃを展示するだけの施設ではなく、実際に遊べる体験型ミュージアムなのだ。

 教室をリニューアルした各部屋には、必ず「おもちゃ学芸員」が配置されていた。マニュアルが必要なゲーム等に限らず、おもちゃがポツンと置かれているだけでは、「遊び力」が衰退した現代の子どもだと遊べないまま立ち去ってしまうこともあるという。おもちゃ学芸員は、来館した子どもたちにおもちゃの魅力を伝える指導者であると同時に遊び相手でもある。

   彼らは全員ボランティアスタッフでありながら、学芸員になるにあたって有料の講義と実習を受けた人たちだ。日本でのボランティア人材源は子育てを終えた主婦層と60代以上の高齢者層といわれている。おもちゃ美術館は、彼らの経験、技術、知識を活かせる場でもあるのだろう。

   同館のプロデューサー砂田氏は、日本各地でその土地ならではの素材を活用した公共施設の演出を手がけている。おもちゃ美術館では昭和初期の貴重な建築遺産でもある校舎を活かしつつ、国産材を多用した内装が施されていた。名のある職人の手で造られた、遊びのための茶室や小屋は専門家も驚くほどの質の高さを誇っている。

 しかし、一つの役目を終えた建物が新たな公共施設として蘇るには、やはり「ヒト」という素材が不可欠だったのだ。おもちゃ美術館で、おじいちゃんと孫のような「他人」同士が楽しげに遊んでいた風景が、そう物語っていたような気がする。

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2015年4月28日火曜日

「芽生えのころ」

4月は息子の誕生月。
卯年の卯月に彼が生まれたとき、「啓」という漢字をプレゼントしました。

「卯」は門が開く様子を表した象形文字だと知って、
「ひらく」という意味の文字を名前に使いたかったのです。

さて、昨年4月11日の南点ですが、なんだか唐突に金星の話が
挿入されていますね。こじつけっぽいかなと思いつつ
4月だし、やっぱり「啓」の字を使いたかったわけです。

ちなみに、レイチェル・カーソンが亡くなったのは1964年4月14日。
昨年は没後50年に当たる年でした。


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「芽生えのころ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月11日掲載)

  4月は英語でApril。これはギリシャ神話の女神アフロディーテ(Aphrodite)に由来するという。確かに、花々が咲き乱れ、生命の息吹が際立つ春は美の女神にふさわしい。子どもたちと外へ出かけるのにも最適な季節の到来だ。

子どもたちは散歩をしながら実に様々なことを発見する。散り始めた桜の花びらを追いかけ、歩道の隙にタンポポを見つけてはしゃがみこみ、そこに通りかかった小さなアリに目を奪われ…、彼らとの散歩はなかなか前に進まない。急いで帰りたい状況であれば、ついつい「早く行こう!」と口走ってしまいそうだけれど、大人にとっては何気ない風景にいちいち立ち止まって興味を抱く感性こそ、子どもが生まれながらに持っている宝物の一つに他ならない。

 著書「沈黙の春」で環境問題を指摘した生物学者レイチェル・カーソンは、遺作「センス・オブ・ワンダー」で、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」と語っている。教科書を暗記するより、日々の暮らしの中でリアルな自然の神秘に目をみはる豊かな感受性を育てれば、おのずと「もっと知りたい」という探究心が生まれてくるというのだ。

  例えば、明けの明星、宵の明星と呼ばれる星がある。現在では小学生でもこれらが同じ星だと知っているだろう。中国では太白星とも呼ばれる星だが、古い時代には明けの明星に「啓明」という別の名がつけられていた。これらが一つの星であることを突き止めたのはピタゴラスといわれている。彼はどうやってその事実を知ることができたのだろう。一つだけ確かなのは、どちらも見上げた人が興味を抱かずにはいられないほど美しい星だということだ。だから西洋ではこの星も美の女神ヴィーナスの名で呼ばれているのだ。

  知りたいと思う気持ちさえ芽生えれば何を学ぶべきか見えてくる。キッチン菜園は失敗続きの母だけど、せめて子どもたちの興味の芽は枯らさないようにしたいと思う春である。

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2015年3月27日金曜日

「弁当上手への道」

冷凍食品を温めて詰めるだけの弁当ですら、
どうして手際よく作れないのだろうと嘆いている母です。

世のお母さま方が作ったキャラ弁の写真を見ては、
そのクオリティの高さに「ひょえー!」と驚いている一人です。

ちなみに、先月、私がお別れ遠足用に挑戦して
子どもたちに好評だったキャラ弁は、ベイマックスおむすび。
顔のみ。

そんな母に似ず、器用な子どもたちは、6歳と3歳にして
(材料を計ってあげれば)クッキーが作れるようになりました。
まるで粘土あそびのように、いろんな形を作ってくれます。

そんな彼らを眺めながら、やっぱり料理は表現活動なんだなと、
思うわけです。

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「弁当上手への道」(南日本新聞「南点」 平成26年3月28日掲載)

 娘が幼稚園へ入園するとき、私の一番の心配事は「弁当」だった。娘の幼稚園は毎週金曜日が手作り弁当の日。恥ずかしながら、それまでまともに弁当を作ったことがなかったのだ。

 ずっと、料理は不得手だった。結婚を機に、どうにか毎日の食事は作れるようになったものの、朝の忙しい時間に数種類のおかずを用意して「かわいく」盛り付けるという芸当が自分にできるか自信がなかった。初めての弁当は前夜から作りはじめた。

 自分自身の反省もあり、娘には早いうちから料理を手伝ってもらっている。といっても食育を意識してというより、どちらかというと苦肉の策だった。娘は私が台所に立つと、一緒に遊ぼうとまとわりついてくる。これでは食事が作れない。それで、3歳になったばかりの娘に包丁とまな板を用意した。ままごと遊びのように「料理ごっこ」をしようと考えたのだ。娘は大喜びだったが、その代わり私一人で作るときの倍以上の時間がかかるようになった。最近では、息子も「手伝う!」と走り寄ってくる。料理が不得手だった母は、そんな彼らと一緒に料理の楽しさを学んでいるところだ。

 このところ、児童が弁当を作る「弁当の日」を実践した小学校の話や、「弁当力」について書かれた本が注目されるようになり、子どもが弁当を作ることの意義を考えさせてくれる機会も増えた。小さな箱に季節感や郷土色を彩りよく詰め合わせて携帯する弁当は、日本の食文化を語るうえで外せないカテゴリー。今では「Bento」として世界の共通語にもなりつつある。あの箱には、食材だけではなく日本人の美意識や家族を思う気持ちも詰め込まれているのだ。

 先日、今年度最後の弁当を作った。日本人の美意識を表現できるようなレベルには程遠いが、娘が毎回弁当箱を空っぽにしてくれるのがありがたい。「お弁当できたよ」。起きてきた娘に声をかけると、「お母さん、今日は午前保育だよ」との返事。

 スケジュール管理も不得手な母である。


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2015年3月13日金曜日

「苦しい時こそ成長の時」

卒業シーズンですね。
明日は幼稚園の卒園式。
昨日、娘はお別れするお友だちに手紙を書いていました。

この季節、卒業して進学したり就職していく若者たちの中には
自分の希望に沿わない結果を受け入れなければならない人も
少なからずいるんだろうなと…、
遠い昔を思い出しながら、そんなことを思います。

そして、「たまらなく好きなこと」さえ見つけることができれば、
人生の道筋は自ずと開けていくんじゃないかなと
今、しみじみ思います。

ちなみに、下記のコラムで「2006年、米国スタンフォード大学…」とあるのは
「2005年」の間違いでした。あぁ、恥ずかしい。

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「苦しい時こそ成長の時」(南日本新聞「南点」 平成26年3月14日掲載)

 「人生には、ときにレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こる」。2006年、米国スタンフォード大学卒業式のスピーチで、スティーブ・ジョブズ氏は学生たちにそう語りかけた。アップル社を創設し、若くして大成功を収めながら、その直後に自分で作った会社をクビになってしまった彼ならではの実感のこもった言葉だ。

 ジョブズ氏ほどスケールの大きなレンガではなくとも、不運や失敗に頭を小突かれることなんて人生の中には幾度もある。幾度もあるのだ。だからこそ、どうすればその時期を乗り越えられるのかを考えなければならない。ジョブズ氏は先のスピーチで、「将来、点がつながると信じること」、そして「たまらなく好きなことをみつけること」を揚げている。「点」というのは、本来の目的とは無関係に見える知識や技術のことだろう。


 ところで、毎日のように壁にぶつかりながら、日々、その壁を乗り越えていく人たちがいる。赤ちゃんだ。自分の体さえ思うように動かせない彼らは、常に今の自分を越えて新しい自分に到達しなければならない。つかまり立ちができるようになると、よろけたりひっくり返ったりするのも厭わず、自分の限界に挑戦し続ける。見ている方としては危なっかしくてヒヤヒヤするものだが、自分の力で一歩を踏み出したときの彼らの誇らしげな顔は、「もう赤ちゃんじゃない」という自信に満ちているようにも思える。


 赤ちゃんは努力しても無駄だとは思わない。その意欲が継続していけば、人はさまざまな困難にも積極的に取り組んでいけるだろう。失敗や壁にぶつかることは、喜ばしいことではないが、だからといって悲しむべきことでもないのだ。子どもたちにとって大切なのは、失敗しても時間をかけたり努力したりすることで克服できるという経験を積むことだ。そのために「想像力」と「遊び心」を育んでおかなければならない。これらは、人間が苦しい現実に直面したとき、それを越えていく原動力になるのだから。

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2015年3月2日月曜日

ごめんください。

娘が「お母さんのお店のレジで遊びたい」と言い出しました。
もちろん、本物のレジスターではなく、おもちゃのレジ。

娘のお店屋さんで買い物をしようとすると、娘から
「お客さん、何か言ってください」と言われます。
それで思わず「ごめんください」と言ってしまいました。
今どき“ごめんください”なんて死語だよ。

スーパーでもコンビニでも、無言で買い物ができますもんね。便利ですけど。

豊かになって、便利になってくると、人間関係は希薄になってくるのだと、
心理療法家でいらっしゃった河合隼雄さんの本に書いてありました。
「切符ひとつ買うのも、昔は駅員さんと顔をあわせて「京都一枚」なんて言っていたのが、いまは機械でポンと出てくるでしょ。買い物でまけてもらおうとしたら、お世辞のひとつも言わないといけなかった。ところがスーパーだったらもうまけてあるものねえ。」(Q&A こころの子育て ―誕生から思春期までの48章― 河合隼雄著)
せっかく子どもたちがお店屋さんごっこで買い物の練習をしても
現代では、会話として実践できる場所は限られているというわけです。

この本が刊行されたのは1999年。
冒頭で1997年に起こった神戸の事件に触れ、
子育てに悩む大人のために書かれた本であると説明されています。

目次を読むだけでも勉強になります。

Q1 豊かな時代なのに、なぜいろいろ問題が起きるのですか。
  みんながこころを使うことを忘れているからです。


Q3 子どもをちゃんと育てていけるかしらといつも不安です。
  どういう子育てがいいのか、ぼくにもようわかりません。


Q29思春期までに親としてやっておくべきことは何ですか。
  「ああおもしろかった」という体験を貯金しておくことです。


Q40覚醒剤が中学生にまで広がっているのはなぜですか?
  母性が弱かったら他の物に依存するしかありません。

こころを使うって、どうすればいいの? と思っても、
どんな場合にも当てはまる「こうすればいい」という答えはありません。
どうすればいいか考えることも、こころを使うことなんだと思います。




2015年2月27日金曜日

「おじいちゃんの声は金の鐘」

昨年の1月末に、テレビアニメ「サザエさん」で
波平さんの声を担当していた声優さんの訃報が報じられて
なんだか寂しい気持ちになりました。
昭和の親父の象徴のような波平さん。私にとっては雷親父のイメージでした。

しかし、サザエやカツオたちには威厳ある声で怒鳴っていた波平さんも
孫のタラちゃんにはやけに優しかったような。

そういえば、「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃんおばあちゃんも、
「はなかっぱ」のおじいちゃんおばあちゃんも、
なんだかいい味出してるよな…。

私が子どもだった頃にはあんなに怒っていたうちの親も、孫には甘い。
なぜかしら?

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「おじいちゃんの声は金の鐘」(南日本新聞「南点」 平成26年2月28日掲載)

 
 島津日新公のいろは歌が、今人気の県民ヒーロー薩摩剣士隼人のパッケージでカルタになっている。平仮名が読めるようになった娘も隼人ファンの息子も、このカルタ遊びが大好きだ。平仮名が読めない息子は、読み札の絵と照らし合わせながら絵札を探している。もちろん、二人とも歌の意味は理解していない。今はまだ、「いにしえの道」を聞くだけだ(ちゃんと聞いているかもあやしいが)。しかし、カルタという遊びの中で、先人の教えを家族の声を介して聞くということに意味があるように思う。親しい人の声には文字情報以上の意味があるからだ。

 
 「声のなかにはね、かならず心が含まれておる」と、「お母さんの声は金の鈴―椋鳩十の母子論―」(あすなろ書房)にある。椋鳩十氏の晩年の講演や資料をまとめたこの本で、椋氏は幼いころに祖母や母から聞いた昔話や寝物語が、自分の情緒を育ててくれたと語る。感動と共に心に残る声は「人生の危険からガーンと落ちようとしたときに」金の鈴のように鳴り響き、子どもの心をグッと抱きとめてくれるというのだ。ユーモアを交えながら心を育てることの大切さを説く椋氏の言葉の一語一語にやさしさがにじむ。まるで孫たちの行く末を案じる一人の祖父のように。

 
 私自身は祖父母と交流することは叶わなかったが、娘と息子は両家の祖父母が身近にあり、私たち夫婦が仕事の間、祖父母の家で過ごすことも多い。おじいちゃんおばあちゃんというのは、親ほど近すぎず他人ほど遠くない絶妙の距離感で子どもたちに人生の機微を教えてくれるありがたい存在だ。

 
情緒を育てるのが祖母や母の声だとすれば、道理を説いてくれるのが祖父や父の声とはいえないだろうか。人生の岐路で正しい方向へ導く金の鐘のように。日新公のいろは歌を、おそらく日新公本人の声で学んだ孫たちが、戦国時代いかに活躍したかという史実は歴史好きの方なら良く知る話。歴史好きのおじいちゃんおばあちゃんは、ぜひ孫たちに語っていただきたい。


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2015年2月12日木曜日

「旅の力」

鹿児島で、春を告げるお祭りといえば初午祭。ですね?

このお祭りで鹿児島神宮に奉納される鈴かけ馬の踊りは、
話題の豪華列車ななつ星の乗客へのおもてなしとしても披露されています。

私としては、このお祭りで売られているポンパチをはじめ、
鹿児島神宮に納められている郷土玩具にも魅力を感じています。

そんな話をしたくて、「旅の力」というコラムを書き始めたのですが
書き終えた文章に「初午祭」というワードも「鹿児島神宮」というワードもなかった…。
どうして伊勢神宮になってしまったんでしょう?
これも何かのパワーかしら。

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「旅の力」(南日本新聞「南点」 平成26年2月14日掲載)

 テレビを見ていた息子が「あ、はっぱっけー!」と叫んだ。「違うよ、はっきゃっぺーだよ」と娘が訂正する。でも正解は「はっぴゃっけい」。画面に映っていたのは、800系新幹線つばめだ。どういうわけか、列車大好きになってしまった我が家の子どもたち。そんな彼らのあこがれの列車はもちろん、豪華列車「ななつ星」。

 クルーズトレイン「ななつ星in九州」の名は、九州の七つの県と七つの観光素材(自然、食、温泉、歴史文化、パワースポット、人情、列車)に由来する。「パワースポット」という単語がちょっと浮いているようにも思えたが、世界の古代遺跡や宗教施設が観光地となっている例を見れば納得だ。宇宙旅行さえ現実となりつつある時代にあっても、人は神秘なるものに心を寄せて旅をするものなのか。

 日本最大のパワースポットともいわれる伊勢神宮では、江戸時代に参拝ブームが起こったという。治安が安定し、街道が整備されたことに加え、奉公人が伊勢へ行きたいと言えば主人といえども止めることはできなかったというのが、民衆を旅に駆り立てた理由のようだ。自由が少ない時代である。江戸から歩けば往復およそ1カ月。普段の生活を忘れてリフレッシュするには十分な時間ではないか。「旅の目的は到着することではなく、旅をすることである」とはゲーテの言葉だが、パワーを求めて旅をするという行為そのものにも活力や癒しを与えてくれる力があることは明らかだろう。

 「いびゅたま、ゆふいんのり、ナナハチナナ…。乗りたいなー」。鉄道マニアの息子が、列車図鑑を見ながら呟いている。彼にとっても旅の目的は到着することではなさそうだ。うん、ななつ星は夢だけど、ななつ星の乗客になった気分で七つの観光素材を楽しむ旅ならお母さんも行きたいな。旅先では、お土産用のおもちゃにも注目してみたい。その土地ならではの扮装をしたキャラクターものも面白いが、素朴な姿のまま今に残る郷土玩具もまた、人びとの願いに力を貸してくれる「パワートイ」としての魅力を放っているのだ。


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2015年2月2日月曜日

「ねことねずみ」

毎年のことなのですが、
我が家では年末年始に家族そろってゆっくり過ごす時間は
ほとんどありません。

主人が営む小売店が、年中無休だからです。
年末年始はスタッフの方々もお休みなので
主人はいつもよりもハードスケジュール。

だから、お正月と言ってもおせち料理を食べようなんて気分にもならない。
だから作らない(言い訳)。

いっそ、世間とちょっとずらして旧正月を我が家の正月ってことに
しちゃおうかしら、なんて思うのも毎年恒例なわけです。

2015年の旧正月は2月19日だそう。
今日は旧暦でいうと12月14日。
今からでもおせちの手配は間に合いますね!
ちなみに、昨年の旧正月は1月31日でした。
そんなことを考えながら書いた去年1月31日の南点。

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「ねことねずみ」(南日本新聞「南点」 平成26年1月31日掲載)

 昨年末から新年にかけての休みは最大9連休だったらしい。そんな連休とは無縁の小売店を営む夫は、年末年始ほとんど家にいなかった。サービス競争の激化が進む昨今、元日から営業する店も珍しくない。便利ではあるけれど、そんな風潮に気ぜわしさを感じるのは私だけだろうか。

 夫不在の冬休み、子どもたちとボードゲームを楽しんだ。最近のお気に入りは、「ねことねずみの大レース」というドイツ生まれのゲーム。2歳の息子には難しいだろうと思いつつ彼のコマも用意してあげたところ、ねこが迫ってくるたびに大慌てでみんなのねずみを前へ前へと進めてしまう。もちろんルール違反なのだが、「ねこに捕まっちゃう!」と真剣に怖がっている様子がおかしくて、我が家では息子の行動もゲーム上のイベントの一つと捉えることにした。それに、2人より3人で遊んだ方がゲームは盛り上がるのだ。

 ドイツのボードゲームは「一つの文化」と言われるほどよくできている。運で勝敗が決まることもあるが、戦略を立てる面白さもあるのだ。本気で戦って5歳の娘に負けてしまうこともあれば、本気を出しすぎて娘を涙目にしてしまうこともある。彼女は負けず嫌いのようだ。いや、私が大人げないのか。

 1980年代に家庭用ゲーム機が登場したことで日本ではボードゲームやカードゲームが衰退していった。しかし、ドイツは逆にこれらのアナログゲームを発展させたのだ。なぜか?ドイツでは父親が家にいる時間が長いからとの説がある。残業する労働者は少なく、閉店法のおかげで小売店も早く閉まる。日曜日は一部の例外を除いて完全休業。これは、資本力に勝る大規模小売店から小規模小売店を保護するためのルールでもある。

 安息日という習慣が根付いている国だからできることなのだろうが、日本でも少しは真似できないだろうか。同業者同士がお互いを疲弊させるチキンレースに興じるよりも、家庭でボードゲームに参加した方が得るものは多いと思うのだけど。
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2015年1月27日火曜日

「笑う神様」

昨年の1月から6月まで、南日本新聞の「南点」というコーナーで
コラムを書かせていただきました。

一応、「おもちゃコンサルタント」という肩書だったのですが、
あんまりおもちゃの話はなく…
ただの子育て日記では? と思ったりもしながら
つらつらと、書いておりました。

どんなこと書いてたの? と聞かれることが
ごく稀に(笑)あるので、こちらにも掲載しちゃおうかなと。
一年遅れの原稿ですが、もし興味のある方は読んでくださいね。


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「笑う神様」(南日本新聞「南点」 平成26年1月17日掲載)

  毎年一月十日に、近所の神社で十日えびす祭が行われる。普段は人影の少ない神社だが、この日ばかりは県内各地から商売繁盛の御利益を授かるために大勢の参拝客が訪れるという。私も商売人の端くれとして、「商売繁盛で笹もってこい」という賑やかな掛け声に誘われて参拝するのがここ数年恒例となった。境内で売られている福笹や福熊手にあしらわれたえびす様のふくよかな笑顔は見ているだけでもなんとはなしに縁起良く、まさに福を呼び込むシンボルに相応しい。参拝の記念にいただく御札にも「笑門来福」の文字がある。

 笑門来福といえば、笑顔のパワーを初めて実感した瞬間があった。生まれて間もない娘を抱いていたときだ。スヤスヤと寝ていた娘の口元にふっとほほえみが浮かんで消えた。そのとき、私の中に今まで感じたことのない穏やかな感情が広がっていったのだ。ほんの一瞬、赤ん坊の顔の筋肉がわずかに動いただけだというのに。この、生後間もない赤ちゃんの笑顔は自発的微笑(生理的微笑)と呼ばれている。外からの働きかけに由来するのではなく、赤ちゃんの中から自然と生み出されてくる微笑だからだ。近年の研究では、赤ちゃんはお腹の中にいるときからほほえんでいることが確認されているそうだ。

なぜ人間の赤ちゃんは笑顔を携えて生まれてくるのか。母親との関係づくりに必要な手段として、赤ちゃんは微笑という顔の形態を選んだのだと研究者はいう。ほほえみ合うことで母親との関係が深まり、心と身体の発達を可能にするのだと。つまり、赤ちゃんは笑顔によって自らの健やかな成長を引き寄せているのだ。

 さて、古事記や日本書紀によれば幼くして海に流されたえびす様。そんな彼が、福の神として祀られるようになったのは、哀れに思った日本人が復活の神話を願ったからともいわれている。遥かな歴史の真実に触れる術はないが、私も、えびす様自らが引き寄せた「福」だったのだと信じたい。と、商売繁盛の福笹を握りしめながら思うのだ。
 
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